しまりすくらぶの考え方
いえ,僕は,ものづくりや理科学習を否定しているのではないのです.
しまりすくらぶという名前を使用し始めたのが,1998年の3月です.
もともとはアマチュア無線のクラブ局名なのですが...全然やってないなあ
今は便利な時代です.必要なものは,電気製品も野菜も何もかも,,たいてい買うことができます.しかも高品質高性能で確実そして安いとあっては,普通は「手作りしよう」なんて思わないでしょう.自作ものづくり派には逆風の時代です.
学習環境も変わってきました.塾では効率の良い管理された勉強法が伝授され,今や受験には塾は欠かせないものと「認識」されています.たくさんの受験テクニック本やハウツー本も出版されています.
でも,我々はなぜ学習するのでしょう?勉強するのでしょう?
「理科の勉強なんて学校を出ちゃえば何の役にもたたない」との大合唱の中,子供達の「理科離れ」がはじまりました.そりゃそうです.今の便利な世の中に,理科の知識なんて,生活には不要なのです.
理科離れをくい止めようと,今の理科の授業は,かつての講義主体の形式から,実験や演示を中心とした授業へと切り替わってきています.
各地で行われている科学の祭典や,理科サークルやサイエンスレンジャーさんたちの活動,科学館でのイベントなど,子供達が「面白い実験や工作」に触れる機会は,かつてよりはるかに増えていると感じます.
教科書も年々どんどん改訂され(2002年改訂はいろいろ物議を呼んでますよね)て,面白くわかりやすい理科にしていこうという意図をものすごく感じます.
ええ,理科もものすごく便利になっているのです.
でも,僕は思うのです.
子供達にとって,理科が生活に不要であるという事実は,変わっていないのだと.
僕は考えるのです.
理科のおもしろさって,何だろう?
ものづくりのおもしろさって,何なのだろう?
それは,理科の知識そのものにあるのではなく,
つくった物そのものにあるのではなく(※誤解せず最後まで読んで下さい),
苦労して試行錯誤して考え調べ悩み抜いてつくりあげたという達成感,
その過程で得られたたくさんの発見,その悦び,
完成した物を見ながら,あれもつけよう,こんなこともできるかなと,広がっていく夢や可能性,
それができるという自信,その裏付けとなるたくさんの発見,経験,知識,
そしてそれは,自分が生きてく上での,自分の夢や可能性を信じられるという自信につながる.
そして,その裏付けとなる努力や技術や知恵が必要なことも,わかる.
こだわらない広い視野も,その中で撤退する勇気も時には必要.
そして,自分で途を切り拓くというスタイルが定着すれば,
それが,生きてるっていう実感へとつながっていく.
生きることが楽しくなってくる.
これは,ものづくりだけでなく,実験だって同じですよね.
ものづくりや実験のプロセスが,生き方の訓練となり,生きる実感の糧となる.
(理科学習については,文が長くなって流れからずれてきたので,興味があれば こちら をどうぞ)
だから,ものづくりは,理科の実験や学習は,
自分のものでないといけないのです.
完全なマニュアルを与えて,その通り作ら「せ」たり,
手取り足取り指導,というか,やってあげてしまったり,
セットメニューから選ばせて,逸脱を許さなかったり,
実験を「成功」「失敗」とだけしか評価しなかったり,
マニュアル通りやらないから失敗したんだとかしか評価しなかったり,
それは,子供達にとっては,「やらされている」だけなのです.
達成感も低いです.だって,マニュアル通りやればできるって保証がついているのだから.
できあがったものは,自分で苦労して作ったものじゃないから実感がわかないし,
だいいち,マニュアル通り手を動かしただけなのだから,なぜできたのか,なぜ動いているのかもわからない.
評価は,マニュアル通りできたかどうかだけ.成功したか失敗したかってだけ.
これでは,ああしようこうしてみようっていう気持ちも起きません.
可能性の夢を見ることができない.事実,不可能なのだから.手を動かしただけなのだから.
コンピュータゲームだって,攻略本の正解を見ながら指示通り手を動かすだけでは,つまらないし,やったとはいえないでしょう.
楽しいのは,自分の頭で試行錯誤してるとき(ヒントくらいは見るでしょうけど),ああしたらどうだろう,こうしたら,と,横道に入っているとき,だと思うのです.
子供が,遊び方が決まっているおもちゃより,浜辺で拾った貝がらや,田舎で集めたセミのぬけがらを大事にするのは,なぜでしょう?
それじゃあ,貝がらなんて売ってるから買い与えればいいのでしょうか?ケガがこわいから,セミのぬけがらを大人がとってあげて子供に与えるのは???それで子供は,夢を見ることができるでしょうか?
一番大事なのは,物ではなく,結果ではなく,プロセスなのです.
一番楽しいのは,達成感や夢や可能性を生むのは,
試行錯誤して悩んで調べて考え夢をみて最後に喜ぶ,そのプロセスなのです.
我々は子供たちに,
プロセスを渡しているでしょうか?
渡せているでしょうか?
子供の力と可能性を本当に信じているでしょうか?
もちろん,プロセスの示し方にはコツが要るでしょう.
ある程度の方向性は示さないといけないでしょう.
何の予備知識もない子供達に,ガイドラインもない状態で,
何でもいいから自分で考えてやれ!
なんて言っても,
子供は固まってしまうでしょう.だって,何がなんだかわからないのですから.
予備知識のない子供達に,目的を示し,ガイドラインを示し,
でも,自力で到達させる.
寄り道やら散逸応用やらを繰り返させながら,1つではないゴールを目指させる.
難しいですね.
僕だって,上手にやる自信などありません.
でもだからといって,完全な指示マニュアルで子供達を縛っては,
子供達の思考と夢をつぶして,手だけ動かさせるのは,
意味がないことだと思うのです.
ものづくりや,理科を,
本当の意味で楽しい,子供たちの意志でずっと楽しめるものに,
しなければ.
でも,今は便利な時代です.
それは同時に,それを逸脱することはかえって不便になってしまう時代でもあります.
子供が,身の回りの物に興味を持ち,調べてみようと,思ったとしましょう.
今の電化製品には,よくマイコンが入っています.そうでなくても,回路は多くの場合ワンチップ化,ブラックボックス化しています.だからこそ,シンプルで高性能なのでしょうが.
オーブントースターにまでマイコンが入っています.温度管理もしてくれて,あっさりこんがり薄きつね色に,上手に仕上げてくれます.
そんな電化製品の,中のしくみはどうなっているんだろうとか,古くなってタイマーの調子が悪くなったから調整してみようとか,とてもそんな気は起きませんよね.わかんないし.不調なら捨てるだけ.
パソコンはとても高性能になり,完全にブラックボックスになりました.僕ごときの手に負える世界ではありません.今時パソコンを手作りで作ろうなんて人も,ほとんどいないでしょう.
え?「自作パソコン」?それは意味が違います(笑)
CR,IC部品配線レベルから手作りで始めるって意味です.
そんなことするより,完成品のボードを買ってきた方が,
はるかに高性能で,安上がりですものね.
だから,パソコンはいつまでたってもブラックボックスのまま.
だいたい,パソコンのしくみを書いた本や資料なんて,今はほとんどない.ハードもソフトも.
超初心者向けの概略本か,さもなくば超専門家向けの何語だかわからないような(笑)本ばかり.間をつなぐものがない.
あとは,アプリやボードの使い方を書いたユーザ本ばかりですよね.だって,パソコンは正しく使うためのものであって,中の仕組みを知るためのものじゃないのだから.
これではますます,子供達にとっては,パソコンは謎の「黒い巨塔」となって君臨するだけ.言われたとおり服従して使うだけ.
巨塔に挑もうなんて気が,起きるわけがない.
僕の感覚では,おもちゃは,「飽きたら改造して使うもの」でした.おもちゃで遊んでいるうち,あれもしたい,これもしたいと思ってしまうのです.
で,
我々はよく,おもちゃを改造してロボコンに出ます.いえ,我々じゃないな.僕の強硬意見です(笑)
今のおもちゃって,すごく効率よくできていて,正しく使う分には問題ないのだけれど,改造なんてしようとすると,すごく使いにくいです.必要のない所には耐久力の弱いボディ,改造スペースが全然ない効率よい胴体,トルクがかかると空回りするギヤシャフト.そう.子供は乱暴ですからねえ.手でむりやりシャフト回しますしね.こうでもしないと薄い歯車が壊れちゃう
...って,それ以前に,なぜ歯車がこんなに薄いんだ?そこまでコストダウン?
今の子供達も,おもちゃを分解してみよう,改造してみようって気が残っているのでしょうか.
もし,おもちゃが子供達にとってまだ夢や思い入れを託せる存在であるならば,もっとしっかりつくったものを与えてほしいのです.
子供がドライバーやきりを手にして格闘できるような.
今の使い捨てのようなおもちゃでは,子供達の夢がかわいそうです.
川にはメダカがいませんし,山にはカブトムシがいません.
ていうか,いても,子供達には見つけられないでしょう.
そういう経験の少ない子供達には.
子供達は変わってしまったのでしょうか?
僕はそうは思いません.
子供達をとりまく環境が,変わってしまったのです.
便利な世の中になって,
与えられるものが,多すぎるのです.
子供達が自分で考えなくても,がんばらなくても,
与えられるセットメニューさえ言われたとおりこなしていれば,
そこそこ生きていけるのです.しかも,疲れないし.
我々も,子供達に与えすぎているのです.
与えるための便利な物がたくさんあるのです.
少子化も関係してるでしょう.
我々の生活にゆとりができたこともあるでしょう.
で,ヒントだけでなく,手も解法も答も出してしまうのです.
子供達は,それに逆らわず生きている.
疲れない生き方を選んでいる.
考えて意見を言ったり,がんばってみたりしても,
周囲と軋轢を生むだけだから.疲れるだけだから.
でも,子供達は,そういう生き方を望んでいるのでしょうか?
ただ生きるだけの生き方を.
そんなばかな.
わからないだけなのです.
自分で考えて切り拓くやりかたが,わからないだけなのです.
今の与えられる環境がどんどん便利になり,
その一方で,
外の世界へのハードルがどんどん高くなっていく,
そんな中で,彼らはあきらめと閉塞感を積み重ねているのだと,
思うのです.で,時々,耐えきれなくなって爆発する.
我々に必要なのは,あまりに高くなってしまった
外の世界へのハードルに,はしごをかけてやることだと,思うのです.
手を出すのではなく,はしごをかける.
そして,外の世界を見せてあげる.
それに惹かれた子は,はしごを登って,自分で巣立って行くでしょう.
自分で歩くことの悦びを知るでしょう.
それを我々は,喜んでほめて応援する.成長するのは,うれしいもんだよって.
子供達の洞察力や応用力は,すさまじいものがあります.
ただ,連続動作,つなげて思考することが苦手なだけ.
うまくはしごをかけることができれば,飛躍的に伸びます.
マニュアルではなく,ヒントを与えながら,少しずつ乗り越えさせていく.そのうちに,自分で乗り越え歩けるようになっていきます.PSのコントローラのタイミングライトや連射スイッチくらいは,自主的に作れるようになるでしょう.
すごいねって,ほめてあげる.だって,すごいし.
我々にもそれぞれ得意不得意分野がありますから,
みんなでいろんなはしごをかける.
子供にも個性がありますから,それぞれはしごを選択して行くでしょう.
巣立たせるのは不安だし淋しいものです.でも,そう思う僕自身,巣立たせてもらったのです.親,先輩,仲間,先生,生徒達にも.
マイペースで頑固で,ひとの言うことを全然聞かない僕を,腹をくくって信じて歩かせてくれたのです.
しまりすくらぶは,はしごをかけるくらぶの1つです.